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子孫?

 投稿者:渡辺の姓をもつ娘  投稿日:2004年 9月19日(日)17時37分58秒
  初めまして。いきなり家紋のことが知りたくなり、いろいろなHPにいって調べたところ
渡辺の出は嵯峨源氏とかいろんなこと書いてあったのですが、全国にいる渡辺さんは皆、
その嵯峨源氏や半蔵の流れで子孫なのですか?ちなみに、私の家の家紋も三つ星一文字です。
 
 

“源氏”とは何か?~国家神道を“原形”に戻す~

 投稿者:森派  投稿日:2004年 9月11日(土)23時02分8秒
  以前“神の国”発言で非難された総理がおられたが、私は賛成の立場を取る。
それは、次のような理由からである。---

“源氏”とは、天皇(神)が下界(=日本の各地)をまとめるために“名代”として
使わした一族で、その中の大将(親)が『源氏長者』と言われるものである。
若干、意味合いが異なるが、キリスト教と比較して見ると分かりやすくなる。
つまり“天皇=God”“源氏長者=seraph”“源氏一族=angel”と置き換え
られるのである。ナンセンスと言って切り捨てることは簡単であるが、日本は長年
この“神話的システム”のもとに統治されて来たのである(*明治の元勲が歪めて
しまったが…)。たとえバカらしくても、この形は守って行くべきだと考える人
(=保守層)の意見にも、耳を傾けるべきではないだろうか。私は『源氏長者(*形式上
の日本〔=下界〕のトップ)』の復活を望みたい。これは形の上のことであるからして、
中身はこれから皆様も考えて頂きたく思う次第です。

                 *トビの趣旨から外れたことをお許し下さい。
 

歴史の流れに沿った日本のあるべき姿~『源氏長者』の復活~

 投稿者:一般の通りすがり  投稿日:2004年 8月25日(水)22時16分31秒
  拝啓

こちらの掲示板しか見ない人もいると思われますので、“嵯峨源氏さんの掲示板”に
書き込んだ内容を書き込ませていただきます。

最近、あるテレビ番組で“歴史から見た日本のあるべき姿”をテーマにしてありまし
たが、私は違った視点で述べて見ます。
『源氏長者』の復活を望んでいる人は、少なからず存在するものと思われます。そう
すると、天皇陛下の御公務は細分化されて源平(の末裔)に分担し、“長者”がその頂
点となります(*天皇陛下は別格)。この“長者”及び“源平(の末裔)”も敬うような
国策が取られていたならば、天皇陛下の戦争責任論は起こらず、さらに戦争さえも避
けられたのではないでしょうか。現在において、その政策を成功させるには、各都道
府県に『特区』を作ることが不可避です。また『源氏長者』は、慣習的に“村上源氏”
が就くことになっていましたが、開かれ,かつ流動性のある現在においては、各源氏,
さらに没落した源氏/平氏(の末裔)にまでチャンスを与え、その位は流動的であるべ
きだと思うのです。方法は、年に一度各源平(の末裔)の姫を担いだ“騎馬戦(各源平
間の混成部隊)”で、勝ち上がった組の代表同士で決めるイベント色の強いものが現
代に合っていて、その日を『源平の日』という祝日にする,というのも日本の歴史に
沿い、国民に受け入れられるはずです。“渡辺様”や“松浦様”が『嵯峨源氏』を代
表して他の“源平”に呼びかけ、政府や宮内庁に掛け合えば、本格的に検討せざるは
得ないはずです。いかがなものでしょうか。
 
                                   敬具
 

 投稿者:hofu_ayumuメール  投稿日:2004年 8月18日(水)14時57分52秒
  はじめまして、最近、先祖のことに興味を持ち調べていたのですが、
親族がなくなった際に一番年上のおじいさんに話を聞いた際、どうやら、渡辺綱の
子孫らしいということになりました。ヨリミツの次の代の人に謀反を起こしたため、
元金沢を越え、富山に隠れ住んでそこで土地を与えられ、定住したという話なんですが、
そのおじいさん曰く、「”戻り橋”で実際に斬ったのは人間の左腕でそれを誇らしげに飾っていた綱をおばあさんが厳しくいさめた」という裏話が載っている古い本が蔵にあるということですが、そんな話は聞いたことはありますか?
 

『天皇制』と“源平長者”~源平の再興~

 投稿者:一般の通りすがり  投稿日:2004年 7月18日(日)20時30分22秒
  拝啓

最近、NHKで『源氏長者』についての番組が放送されていましたが、日本の歴史の中で
“源氏”は重用されて来たのを再確認しました。そこで、浅学ながら皇室と切り離せない
“源平”は、現在ではどうあるべきか私見を述べさせていただきます。

皇室は“近親婚”で成り立っています。これは、いろんな意味でマズイのではないでしょ
うか。そういうわけからして、皇室に入る“第一候補群”として、源氏の中で最も血の遠
い“嵯峨源氏”から選んで行くようにしたらいいのではないかと思われます(*これに加
えて、東大卒で気品を備え、3代続けて〔*それ以前は問わない〕学者の家系なら、文句
なし)。また、本来でしたら“政・官・財”の要所は、“源平(の末裔)”が固めていなけ
ればなりませんが、民主主義のもとでは実力のある人がその役職に就くのは当然です。
しかし『天皇制』が存在する限りにおいては、形式的にでも“源平(の末裔)”は“天皇陛
下(皇室)”の次に位置付けなければ、日本国の形は示せないのではないでしょうか。この
ままでは“朝廷”の慣習は、民主主義の名目で破壊されてしまいます。そこで、“皇室”
と“源平(の末裔)”が生活を営む『特区』を作り、“現実離れした夢の世界(“日本の原
風景を想起させる部分〔*車の進入はできない〕”と“近代的設備を備えた部分〔*区画
整備がされている〕”を調和させる)”を築き上げて、国による『観光事業』にする要望
書を、大勢で政府や宮内庁にメールを出すのです。その観光事業とは、各源平(の末裔)が
独自の武具(家紋入り)をまとっての行進の儀式をしたり、商品(嵯峨源氏の饅頭・清和源
氏のお守り・村上源氏の陶器〔*各家の名前と家紋入り/安売りはしない〕,等)を販売し
たり、飽きられないように絶えず企画を出し続けなければなりません。実現までの手順は、
次の通りです。(1)“源平(の末裔)”を『官報』で呼びかけて、各源平ごとに区分けして
登録する(*資料がなくても信憑性がある場合は登録。女系は認めず。養子は各“源平間/
平家間”のみ容認。江戸時代の禄は少なくても、また“傍系”でも可。“(源平でない)大
名”や“(5期以上勤めた)総理大臣”の家系も『客人格』として参加可能)。(2)具体的
の内容(予算・場所・公務の内容,等)を協議して詰めていただく。(3)参加可能になった
家族から、住まいを移って行く。(4)実行。  

なお(書き込むべきかどうか迷いましたが)自分が有利に事を運ぼうと、自分が所属してい
る“源氏”の正統性(*政権を取れば、どの“源氏”も『正統』になれるものですが…)を
主張する人は、現在でも少なからず存在します(*下記ホームページの主。余談ですが、
加賀100万石の前田家の酒井美意子さんは、山県有朋・伊藤博文ら維新の功労者により華族
を“新華族(成り上がり組の華族)”と嫌悪しておられましたが、自身のご先祖様の利家公
以前は“不明”であることからして、皮肉である。また“豊臣秀吉”の生涯は、将棋で
“歩”が“龍”に成ったようなもので、朝廷の慣習上において反則をやらかしたようなも
のである)。こういう事実を考慮して、源平の姫を担いだ“騎馬戦”で、各源平間を勝ち
上がった代表同士(*ここから“(源平でない)大名”や“(5期以上勤めた)総理大臣”の
子孫が乱入する)で、その年の『源平長者』を決めるイベントを宮内庁に催していただき、
その日を『源平の日』という祝日にする,というのも面白いかもしれません。

みなさんも“源平(の末裔)”は、現在においてどうあるべきか考えてみませんか?
それとも、このまま時代に埋没して行くのを認めますか?

                                    敬具

http://www.interq.or.jp/venus/c-girl/index2/indexb.htm
 

三階菱

 投稿者:るり  投稿日:2004年 7月 5日(月)21時18分1秒
  京都出身(現住所は滋賀県)の渡辺です。
家紋のほうは三階菱に渡辺星です。
源融が大本?らしきことまではわかったのですが、どこの支流?からなのかはもっと調べてみないとわからない様子です。
母方の祖父の方のをたどっていくことになりますが……
相楽郡って誰が知ってるんだろうか……
 

先祖が知りたいです。

 投稿者:鬼追  投稿日:2004年 5月 3日(月)13時24分58秒
  はじめまして。鬼追といいます。
私の先祖が嵯峨源氏渡辺氏流とあるHPにあったのですが、どなたか詳細ご存知ないでしょうか。
ある本では渡辺競からはじまったと記載してあったのですが・・・
よろしくお願いします。
 

訂正

 投稿者:渡辺勝人メール  投稿日:2004年 4月25日(日)08時45分8秒
  半蔵流の文字が間違っていました。  

先祖が知りたい

 投稿者:渡辺勝人メール  投稿日:2004年 4月23日(金)10時04分27秒
  私の先祖は、家紋からして半増流嵯峨源氏だと思うのですが 江戸末期から明治初頭にかけてわからないので どなたか 教えてください。江戸時代は 愛知県津島にいたらしいのですが 明治から昭和にかけては岐阜県羽島郡ほっつに住んでいました。父の話では蔵には 関ヶ原の合戦に関する古文書や宝石がついている刀があったそうです。私ー定男(父)-佐平治(祖父)-雛三郎(曽祖父)-伝四郎(ほっつの橋本家より養子になる)  

嵯峨源氏・蒲池氏

 投稿者:坂上メール  投稿日:2004年 3月 2日(火)07時19分0秒
  嵯峨源氏といえば渡辺氏であり、渡辺氏は嵯峨源氏の代表のようです。
それというのも嵯峨源氏の頃は、代が下ると本来の貴種からの血縁が薄くなり、身分が低くなったのですが、
渡辺氏は公家から武家に転じ、滝口武者の一族となったため、嵯峨源氏の中では、さらに源融の系統では、
唯一、子孫を伝ええた一族ではないでしょうか。
もちろん、渡辺氏と言っても、狭義の渡辺姓としての渡辺氏はもとより、肥前の松浦氏などの
広義の渡辺一族をも含めてです。
戦国時代の柳川の15城筆頭大名で10万石の大身とされる蒲池氏もまたルーツは嵯峨源氏で、
『筑後国史』その他は、松浦一族の山代源三圓を祖としています。そのため蒲池氏は、嵯峨源氏松浦党の一族と
されていますが、実は、この山代源三圓は鎌倉時代の承久年間の婿養子で、蒲池氏は彼に家を譲っており、
そのため、松浦一族の山代源三圓が祖とされたようです。
では、なぜ、婿養子に家を譲ったのかというと、蒲池氏は、承久の変では朝廷側に加わり、反幕府側だったからです。
承久の変は、鎌倉幕府の勝利となり、反幕府側の蒲池氏は滅亡の瀬戸際に立ち、以前から親しい間柄にあった
肥前国神崎の山代氏の三男を婿養子に迎え、彼に名跡を譲り再興しようとしたようです。
では、反幕府側だった蒲池氏とは?
実は、この蒲池氏もまた嵯峨源氏であり、源融の子孫ですが、渡辺綱・渡辺氏ではなく、
渡辺綱の祖父の源仕の弟の源是茂の子孫の源満末が肥前国神崎に惣司として下り武士化したのがはじまりで、
満末のひ孫で、鎌倉時代初期に筑後国三潴郡蒲池荘の地頭となり、土着して蒲池を氏とした
源久直が初代です。
つまり、嵯峨源氏の中で後世に盛んとなった蒲池氏は、ひょっとしたら唯一、渡辺氏とは同じく源融の子孫ですが、
渡辺党とは別の出自の嵯峨源氏と言えるかもしれません。
もっとも、上にも書いたように承久の変の後に、渡辺党松浦氏の一族から婿養子を迎えていますから、
結局は合流することになりますが(^^)。
ところが、蒲池氏は伝統的に朝廷方だったのか、南北朝の時は南朝方で、九州に落ちてきた足利尊氏を迎え撃った
多々良浜の戦いには、九州南朝の雄の菊池氏と共に加わります。この多々良浜の合戦は足利尊氏の勝利となり、
尊氏の再度の上洛の第一歩となり、後に湊川で楠木正成を撃破しますが、この多々良浜の合戦で
渡辺党松浦氏族の蒲池氏は当主の蒲池武久が討ち死にし、嫡子がおらず、家系は断絶しかけます。
この時、やはり九州南朝だった宇都宮貞久(宇都宮氏嫡流は北朝方)の孫の宇都宮久憲が蒲池武久の娘婿となり、
蒲池の名跡を継ぎます。これ以降の蒲池氏は、藤原氏族宇都宮党の蒲池氏となり、家紋もまた、
宇都宮初代の宇都宮朝綱以来の左三巴になりますが、それ以前は嵯峨源氏渡辺党松浦氏族だったことから、
渡辺星の家紋も併用していたようですし、本姓もまた宇都宮氏の藤原姓ではなく、嵯峨源氏の源姓のままでした。

 

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