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大変ありがとうございます。

 投稿者:NAGATA  投稿日:2002年11月18日(月)15時56分50秒
  HAZUさん、通行人さんありがとうございます。
特にHAZUさんの永田又助の会津に関する書き込みにはいたく感激しました。
当家の尾張藩永田家(勘兵衛)と繋がりのある会津永田家について知ることが
できました。ありがとうございます。(会津若松まで出向いてくれた由恐縮です)
現在、拙筆ながら今までに分かった事柄をまとめているところです。
大変助かっています。また、書き込みます。まずはお礼まで。
 
 

鳳源寺

 投稿者:この花咲くや姫メール  投稿日:2002年11月18日(月)15時17分41秒
  >中塩氏という氏子はあるのですが・・・

>Sさん 肝心なことを落としました。 中が崎に出て 『中崎』  塩が残って 『塩治家』
出雲の方の 神社を守っておられると思います。

  http://www.siozi.com/

こちらの方も ご覧ください。

それと 亀山神社の氏子の中に 三浦ひさゑという者が いると思います。
こちらの方も 現在 お探ししています。


赤穂の有政先生のHPです。  鳳源寺 阿久利の打ちかけを ご覧ください。

 http://www.117.ne.jp/~akorosi/shiseki/chugoku/miyoshi02.htm

順不同でごめんなさい。  
 

亀山神社

 投稿者:この花咲くや姫メール  投稿日:2002年11月18日(月)12時27分19秒
  下記でご紹介いただきました亀山神社は 呉では 人祭りと呼ばれ親しまれております。 2年ほど前までは 児玉組の皆様のお支えで藪も玉換えも盛んでありました。児玉組も衰退の折 その行事も取りやめられたと伺っております。人祭りと呼ばれるだけあって 呉市の小笠原市長はじめ 市民のお一人ひとりに支えられて 今日があると思っています。
また 由緒 歴史をご覧になって お分かりのように 広島浅野家が支えた時期もありました。
私は 播州赤穂の忠臣蔵で有名な阿久利(中本)の6代目であります。松の廊下事件後 身ごもった阿久利は 色々な方がたに 支えられての今日があります。今では森家さまが ご発展されておりますが 森作右衛門の長女リヨは平川家に嫁いでおり 私の曾祖母でもあります。
尾張浅野家(寺本)さまには 格別な支援を受けたとのことです。
また 安芸の藤原 花山天皇・大内氏にも お導きをいただいております。私の女紋は 下がり藤を 継承しております。摂家制度も今はなく 政治家の方々のご努力にお祈りすることしか出来ません。

叔父 中崎玉雄は 神戸三菱造船所にて総監督として勤務いたしておりましたが 昭和20年の冬に吉浦の駅で 事故死とも自害とも暗殺とも当時の新聞には 記載されたそうですが 記録なるものの保存がなされていません。
  
そのような中 HPを持つほどの資料もなく 模索検討を致しております。
何かの情報等 ございましたらお教えください。

半蔵流 嵯峨源氏・渡辺氏のご健勝をお祈りしております。 長文にて失礼いたしました。
 

会津藩永田家

 投稿者:HAZUメール  投稿日:2002年11月17日(日)01時10分52秒
 
 永田さんが見えられたので

 会津藩には砲術に永田流乱火、永田流軽筒銕砲という武術があります。
 これらの創始者が永田勘三郎武門となります。
 武門は延宝7年、父の跡を継ぎ、250石取りの会津藩士となりました。

 今日、会津若松に行って、その永田家を調べてきました。
 先祖及び子孫についてはやはりわかりませんでした。
 わかった範囲で書きます。

 永田又助
  父、母不詳
  妻:窪田源左衛門某女
  知行:200石
  先主:鳥居左京
  子:勘三郎武門
     母:窪田氏女
     妻:小川郷左衛門某女
     子:勘三郎武信
        母:小川氏女
        妻:秋山杢之丞義陳女
        後妻:柴勘左衛門次平
        初名:又十郎
        子:蘇武之助武詮
           母:柴氏女(?)
           妻:安藤○○○○○女
           子:忠左衛門武更
              母:安藤氏女
              妻:浮洲庄太夫重[亠/是]女
              初名:藤馬
              子:又蔵武茂
                 母:浮洲氏女
                 妻:柴太吉盛治養女(柴新蔵盛尚女)
                 後妻:石沢甚吾庸信女
                 後妻:筒井一学勝英女
                 初名:茂太郎
                 子:勝二郎
                    母:石沢氏女
                  :女
                  :武之丞
                    母:筒井氏女
               :浮洲庄次郎重直妻
               :覚蔵武義
                 母:浮洲氏女
                 妻:原彦左衛門利憲女
            :井深庄左衛門光張妻
            :○○藤次郎信利妻
            :原彦左衛門利憲妻
      :又助武治
        母:小川郷左衛門某女
   :浦野六郎右衛門直時妻
     母:窪田氏女
   :浅岡甚五左衛門勝清妻
     母:窪田氏女



                 筈衛from fukushima city
 

RE: 尾張藩での職名について

 投稿者:HAZUメール  投稿日:2002年11月16日(土)23時01分51秒
  >>NAGATA さんへ

>>当主(元和新参衆 永田家)は尾張藩で「御書院番」「御奥番」「御側御右筆」などを
>>代々務めていましたが、これらの職名は具体的にどのようなことを業務
>>としていたのでしょうか。

 尾張藩のことはちょっとわかりませんが、通常の藩では、御書院番は小姓とともに藩主の親衛隊員ですね(^_^;
 御側とは側近のことですし、御祐筆は書記のことです。
 御奥番はよくわかりませんが、会津藩には御小姓の中に奥番という職がありましたので、同じものかもしれません。
 ただ、江戸時代は家格に応じ、役に付くことが多く、職名の意味はあまり関係なくなってしまいます。
 どちらにしろ、「御書院番」「御奥番」「御側御右筆」は藩主の身近にいる人たちです。

>>また、享保7年には「八三郎君御抱守」とあります。

 これは八三郎という若君の御守役でしょうね。

 なお、尾張藩の職制を正しく知りたいのならば、「金城温古録」(名古屋叢書続編収録)を調べると判るようです。
 わたしは名古屋叢書続編については、『士林泝』以外のものは実家に置きっぱなしにしており、すぐに見ることはできませんので、簡単に書きました。



                 筈衛from fukushima city
 

(無題)

 投稿者:通行人_S  投稿日:2002年11月16日(土)16時55分44秒
  大梁院様御部屋住の内御供役仰せ付けられ同八年二月五日御抱守加人仰せ付けられ御家督以後同年六月二十八日御近習番仰せ付けられましたが安永六年十月六日病死いたしました。
豊之丞殿御抱守ただ今まで勤めていましたが備後守様御抱守兼帯を仰せ付かりました

http://www.ninsokyo.com/03.html より

上記は、高松藩の林家の事ですが、加人・兼帯の上下関係は解りません。

亀山神社
http://ww4.tiki.ne.jp/~kameyama/

中塩氏という氏子はあるのですが・・・
 

月蔭さま

 投稿者:この花咲くや姫  投稿日:2002年11月14日(木)12時16分36秒
  こんにちは 色々と参考になる資料ありがとうございます。

賀茂郡西条町の渡辺家(病院を経営いたしております。)の方には 私の母方平川家の長男の娘が嫁いでおります。その何代か前には 岡西家からも嫁いでおります。

また 被爆者名簿者の方に関しましては 今 中崎チカ というもので 広島市役所の保健年金課の方で調べって戴いております。 どうぞ ご心配なお方がおられましたら 一度 役所の方へ
ご連絡をおとりください。 また 時間がかかる問題でもありまして ご教示戴きました中国新聞社の方も当たってみようと思います。

神階授位につきましては 現在神祇伯の方の流れで 調べております。
そのような時代を追って来たのでしょうね。 こちらの管理人(?)さんも日枝さまと認識いたしましたが 日枝神社の関係者の方でしょうか。

平川家の兄嫁は やはり賀茂郡の大歳神社の方から 嫁いできております。
中崎家では 遠い昔には平原神社を祖霊社と致しておりましたが諸般の理由で亀山神社と合流いたしているようすです。 宮司 太刀掛さまには 色々な意味でお世話になっております。
また 厳島神社の方につきましても 町長の小田さまのお兄さま(三菱系退職)との交流の中にお伺いいたしております。

関が原の戦いに関しましては やはり何代かに渡り 石田三成のまつえと婚姻関係があります。
現在 石田小百合というものが 広島市観音におきまして 被爆いたしまして現在別府の方に
温泉治療を兼ねて永住いたしております。亡き叔母は『三國の母』として 新聞に連載されたと伺っております。その時 笠間浅野家さまから ご心配を頂きお尋ねいただいたそうです。
現在 ご養子さまが継承されてお守りされています。交流は取らせていただいております。

>通行人Sさま 前回のレスでご教示いただきました。

播磨中村氏系図 でお教えいただきました。9枚笹の家紋は私どものお寺のものであること
先日 赤穂の学芸員の小野さまにご挨拶にうかがうついでに 間違いがないことを確認して参りました。
吾妻鏡の中崎家についても現在調べていただいております。ありがとうございました。
余談ですが TV東京では 新春時代劇場1/2は 恒例の『忠臣蔵』を本来の『仮名手本忠臣蔵』竹本座の脚本を使用されるとの正式発表がなされたようです。
もう 東照宮さまとのお約束の300年でございますので どうぞ お楽しみください。

まだまだ 歴史については 未熟ですがこれからもご指導いただければと思います。
長文になり失礼をいたしました。では また・・・。







 
 

尾張藩での職名について

 投稿者:NAGATA  投稿日:2002年11月12日(火)08時59分36秒
  当HPの内容の充実にいつも感心している者です。
以前、当掲示板にてHAZさんにご教示頂き、尾張藩での祖先について
調べを続けています。その節はありがとうございました。
当主(元和新参衆 永田家)は尾張藩で「御書院番」「御奥番」「御側御右筆」などを
代々務めていましたが、これらの職名は具体的にどのようなことを業務
としていたのでしょうか。
また、享保7年には「八三郎君御抱守」とあります。
これはどのような仕事なのでしょうか。
お教え下されば幸いです。
 

(無題)

 投稿者:月蔭  投稿日:2002年11月12日(火)02時07分26秒
  渡辺

岩堂不動院
岐阜県美濃市片知押場
http://www.buddhatown.ne.jp/gihutemp.htm より

ここから僧門帖で辿っていくしかないようですが・・・(;^_^A))
 

(無題)

 投稿者:月蔭  投稿日:2002年11月12日(火)02時00分3秒
  明治以後、神階授位の制度は廃止
http://www.phoenix-c.or.jp/~jinjya/faq/098.html

岐阜県関係雑誌記事索引 No.76
府中地区における関ヶ原合戦の戦禍 渡辺隆 垂井の文化財 24号('00・3)P37-39
http://www.library.pref.gifu.jp/library/z_76.htm

渡辺酒造店(岐阜県吉城郡飛騨古川町)
http://www.sake-hourai.co.jp/

岐阜県可児市議会 新政可児クラブ
平成13年7月23日に会議が開催され、「可
児市議会合併問題研究会」がスタートした。会長に澤野隆司、副会長に渡
辺重造
http://www02.kani.or.jp/~k2-kani/page2.html
 

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